生活環境学部 住環境学科 専任講師
―― 先生が専門とされている建築史という学問分野について、分かりやすく教えてください。
現代の建築と古い建築では、そのつくりが大きく違います。現代建築の方が秀でていると思われるかもしれませんが、実は古いものの方が技術的に優れている部分もあります。建築を研究したり、古建築の修理に携わったりすると、昔の人の知恵にハッとさせられる機会が多くあります。それが、建築史の楽しさを感じる瞬間です。
建築は、単なる「物体」ではありません。長い時間そこにあり続け、人びとがそこで暮らし、行き交い、さまざまな経験を重ねるなかで、記憶がほこりのように少しずつ積もっていきます。そうして建築は、次第に物体以上の存在になっていきます。たとえば、自分の実家を思い浮かべてみてください。長いあいだそこで生活し、家族と過ごし、さまざまな出来事を経験することで、家は単に雨風をしのぎ、食事をするための場所ではなくなります。柱の傷や窓から見える景色、いつも家族が集まっていた部屋など、一つひとつの場所に記憶や愛着が結びつき、自分にとって特別な意味をもつ場所になっていきます。
学校の校舎も同じです。入学したばかりの頃には、ただの教室や廊下だった場所が、何年も通ううちに、友人との会話や授業、学校行事の記憶と結びついていきます。卒業して何年か経ったあと、校舎を目にしただけで、その頃の出来事がふとよみがえることもあります。あるいは、毎日使っていた駅舎や、通学路で何気なく見ていた建物もそうでしょう。普段は特別に意識していなかったのに、取り壊されると聞いた途端に寂しさを感じることがあります。それは、知らず知らずのうちに、その建物に自分の時間や記憶が結びついていたからではないでしょうか。
建築は一度つくられると、数十年、時には百年以上にわたって同じ場所にあり続けます。そのあいだに、人びとの暮らしや出来事を受け止めながら、少しずつ記憶と意味を重ねていく。時間とともに人びとの記憶を受け止め、場所に意味を与えていくことも、建築がもつ大きな力の一つだと私は考えています。
―― もう一つ、先生が専門とされている歴史的建造物の保存修復とはどのような学問分野なのか教えてください。
日本の古建築は、放っておけば次第に傷んでいってしまいます。法隆寺は1300年以上前の建築として知られていますが、1300年間ずっと何もせずに残ってきたわけではありません。屋根は数十年ごとに葺き替え、百年ほどの単位でより大きな修理を行い、時には建物を解体して組み直すような根本的な修理も行ってきました。古建築の「古さ」とは、手を加えなかった時間の長さではなく、修理を重ねながら受け継いできた時間の長さでもあるのです。
大学に着任する前の私の仕事は、文化財建築の修理に関わる設計監理と調査でした。実際の工事にあたって、どこをどのように直すのか、どの部分を残すのか、どれくらいの費用が必要なのかといった修理の方針を考えるとともに、工事に伴って建物の来歴や特徴を詳しく調べていきます。
この仕事のおもしろいところは、工事が進んで初めて分かることがたくさんあることです。人間の身体も、レントゲンである程度は見ることができますが、手術で実際に中を見て初めて分かることがあります。建築も同じで、屋根や壁を外し、建物を解体していくと、それまで見えなかった構造や古い改造の痕跡などが現れてきます。
そこで分かったことを一つひとつ調べ、その建物がどのようにつくられ、どのように変化してきたのかを明らかにしていく。そして、その成果を図面や写真とともに報告書として記録に残すことも、重要な仕事の一つでした。
―― 歴史的な建物を見るとき、先生はどのようなところに注目されているのでしょうか。
建築を見る視点はいろいろありますが、私はまず「場所」を見ます。例えば京都の清水寺では、なぜ「清水」という名前がついているのだろう、なぜ山の斜面に寺院が建っているのだろうと考えます。
清水寺は、寺名の由来にもなった音羽の滝と深く関わって成立した寺院で、この水は古くから清めの水として信仰されてきました。つまり、寺院がこの場所に建てられた背景には、水や場所に対する信仰がありました。一方で、建築の「場所」にはもっと現実的な側面もあります。清水寺が建つのは急な山の斜面です。そのままでは大きな建物を建てるための平らな土地がありません。そこで本堂では、斜面に長い柱を立て、それらを横材で固める「懸造」という方法によって、大きな床をつくっています。現在の舞台は谷底から約13メートルの高さにあり、多くの柱によって支えられています。つまり清水寺の特徴的な建築の姿は、単なる意匠ではなく、その場所に建築を成立させるための現実的な工夫から生まれたものでもあるのです。
また、京都や奈良など都の周辺には古建築が数多く残る一方、地域によってはほとんど残っていないところもあります。建築は自由にどこにでも建てられるものではなく、地形や交通、資源、信仰、政治など、さまざまな「場所」とも深く関わりながら作られるのです。
―― 今後の研究の展望や目標について教えてください。
政治や権力を象徴する巨大で豪華な建築よりも、庶民の民家や庭園の東屋のような、小さく質素な建築に惹かれています。こうした建築は、一見するとささやかな存在ですが、そこには「大きく豪華なものよりも、小さく簡素なものの方が豊かである」という、長い歴史をもつ価値観が表れています。
興味深いのは、庭の東屋のような小建築が、実際の建物としてだけでなく、水墨画や詩文の中にも繰り返し登場し、自然の中で静かに暮らす理想の住まいとして描かれてきたことです。景色を眺め、鳥の声を聞き、茶や酒を楽しみ、人と語らう。そこには、当時の人びとが考えた「豊かな暮らし」の姿が凝縮されています。
そして、こうした小さな建築は日本だけのものではありません。中国の亭や韓国の亭子、西洋の庭園建築、イスラーム庭園の園亭など、自然の中で一時を過ごすための小建築が世界各地につくられてきました。今後は、日本の東屋を手がかりに、それらを広く比較しながら、地域ごとの形態や使われ方の違いだけでなく、自然との関わり方や、そこで営まれた暮らしの思想まで明らかにしていきたいと考えています。小さな建築を通して、人びとが自然の中にどのような理想の生活空間を思い描いてきたのかを、世界的な視野から捉え直すことが、今後の大きな研究課題です。

広島の大名庭園にある傘型の東屋。
一本の柱で建つ驚きの構造で、腰掛部分は360度回転して、
大名は座りながら四方の景色を楽しむことができた。
―― 研究を進める中で、どのようなときにやりがいを感じますか。
古建築を研究していると、資料が十分に残っていないことが多く、どうしても資料的な制約があります。それでも、いろいろな史料や建物を見ていくなかで、それまで想像していなかったことがつながった瞬間に、一番おもしろさを感じます。
例えば、江戸時代の文人・頼山陽について研究したのも、もともとは偶然がきっかけでした。大分と広島でそれぞれ建物を調査していた時、まったく別の場所なのに、どちらにも頼山陽の文章が残されていることに気づきました。「この頼山陽という人は、なぜこんなに建築について文章を書いているのだろう」と気になって調べ始めると、理想の住まいや環境について多くの文章を残していることが分かってきました。
頼山陽は、巨大なものを建てて所有することよりも、小さな場所で目の前の景色を眺め、鳥の声を聞き、花の香りを楽しみ、友人と語り合うような暮らしの方が豊かなのではないか、ということを書いています。二百年近く前の文章なのですが、現代の私たちにも通じるところがあって、とてもおもしろい。そこから研究が広がり、最終的には論文を書くことになりました。
こうした偶然の発見から、思いもしなかった世界が広がっていく。それが研究のおもしろさだと思います。
―― 奈良女子大学の記念館改修プロジェクトについて、どのような改修が行われたのか教えてください。
一般に「改修」というと、使いやすいように形を変えたり、新しいものを付け加えたりすることを想像するかもしれません。しかし、文化財の場合は基本的に、自由に形を変えることはできません。できる限り、その建物が本来もっていた姿を守る「現状維持」が原則です。ここでいう「現状を維持する」というのは、現在の劣化した状態をそのまま残すという意味ではありません。例えば塗装が紫外線によって退色していれば、薄くなった今の色を保存するのではなく、もともとどのような色だったのかを調べ、その色に戻していきます。
記念館の改修では、塗装の塗り直しが大きな作業の一つでした。表面の劣化した塗装をサンドペーパーで擦っていくと、ほんの0.1ミリほど奥に、紫外線の影響を受けていない前回塗装した時の色が残っています。その色を手がかりに、本来の色を復元していくわけです。

記念館の車寄の塗膜の擦り出し状況
サンドペーパーで擦り出して、車寄の柱の旧塗膜を露出させた状態。
劣化していない現塗膜を元に、右の色見本の色で塗り直した。
―― 記念館のような歴史的建造物を改修し、使い続けていくことには、どのような意義があるとお考えでしょうか。
古建築を修理する一番大きな意味は、これまで受け継がれてきたバトンを、きちんと次の世代へ渡すことだと思います。
ただし、単に長く残すことだけを考えるなら、人を中に入れず、触れさせず、鑑賞するだけにした方が建物は傷みません。しかし、建築は博物館の標本とは違います。多くの人がそこで時間を過ごすことで、その建築は一人ひとりの記憶の中にも残っていきます。そして単なる物体を超えて、大学や地域のシンボルのような存在になっていきます。そうして、人びとが「この建物を残したい」と思うことが、次の修理へとつながります。使うことで人の記憶に刻まれ、気にかけられることで修理され、また次の世代へ受け継がれていく。そうやって生きた状態で建築を残していくことが大切なのだと思います。

記念館を北東より見る。
上が修理前。下が修理後。
―― 最後に、学生に伝えたいメッセージがあれば教えてください。
私の祖父は古民家が好きで、民芸家具の会社を作り、経営していました。ただ、私自身は子どもの頃から古建築に興味があったわけではありません。むしろ高校の時には、歴史が苦手で数学や物理が得意でしたので、東京大学の理科一類に進学しました。ところが、大学に入ってから芸術に興味を持つようになり、2年生では建築学科に進み、次第に古民家に惹かれていきました。振り返ってみると、結果的には祖父とよく似た道を歩んでいます。高校の時には建築史を研究するなんて、想像すらしませんでした。
文化財建築の修理に携わるようになったきっかけも、大学生の時に文化財の修理現場を訪れ、そこで働いている人たちからおもしろい話をたくさん聞いたことでした。その時の経験が、その後の進路につながっています。
何が自分の人生に影響するかは、後になってみないと分かりません。ですから学生の皆さんには、今の自分の専門や興味だけにとらわれず、いろいろな場所に行き、いろいろな人に会い、さまざまなものに触れてほしいと思います。そこから、思いもよらなかった道が開けることもあると思います。